ソマティック・アプローチ

ごめんなさい。長文になってしまいました。


⊡ ソマティック・アプローチとは

 

ソマティック(SOMATIC、身体的)のSOMAはギリシャ語で「身体」を意味します。 ソマティック・アプローチとは、「身体を動かす」ことそのもの、および身体を動かすことによって脳と心と身体を整えようとする試みのすべてをさします。

 

そこにはヨーガ、呼吸瞑想法、禅、太極拳、武術、合気道、ダンス、演劇、スポーツとそのトレーニング法など直接身体にかかわるもの、およびその背景にある思想、哲学、宗教、理論、方法論などが含まれます。また、学問としては生物学、生理学、解剖学、医学、脳科学、認知科学、臨床心理学、行動科学などかかかわってきます。

 

私自身は、ソマティックな活動としてはテニスと太極拳をやっています。もちろん、基本的には楽しいからやっているのですが、目的もないわけではありません。一つは「心身を鍛え、整える」ことです。

しかし、神経生理学と脳神経科学の研究が進み、「身体を動かす」ことで、脳神経(ニューロン)の可塑性が増し、また大脳辺縁系の海馬歯状回周辺における神経新生が促進されることがわりました。簡単に言うと、ソマティック・アプローチでなんと脳を鍛え、元気にできることがわかったのです!

 

そんなわけで、最近テニスと太極拳をする目的がもう一つ増えました。それは「脳を鍛える!」ことです。 

 

 

⊡ ソマティック・アプローチの定義

 

ソマティック・アプローチとは、脳と身体の相互作用についての最新の科学的知見にもとづき、身体と心の機能を積極的に活用して脳の構造と機能に変化をもたらそうとする試みであって、もって、すべての人々が自らの身体的・知的能力に気づき、自分らしい、豊かで有意義な人生を生きていくことができるよう、また、活き活きと働き、さらに一段上の成功と成長を実現していくことができるよう支援していく取り組み。 

 

⊡ いまなぜソマティック・アプローチなのでしょうか?

 

身体や心を使うメソッド(体系化されたやり方)は昔から数多くあります。 なぜ今になってことさらソマティック・アプローチとして採り上げる必要があるのでしょうか。 実は、21世紀のいまだからこそ改めて採り上げる必要が出てきたのです。 以下その理由についてご説明したいと思います。

 

(1)神経科学における分子レベルの研究が明らかにした脳の働き

神経科学において分子レベルの研究ができるようになったのは、そう昔のことではなく、2000年ごろです。 そこから神経生物学は新たな局面に入り、人の知覚、運動、思考、学習、記憶についての新たなアプローチ方法と理論の構築が始まりました。 21世紀に入ってからの脳・神経に係わる研究の進展には目を見張るものがあります。  その中で特に私たちが注目するのは、無意識の重要性についてのフロイトの洞察が再評価されたことです。 そして、これまで未知の領域として避けられてきた人間の「心」と「意識」が重要な研究テーマとして浮上してきたことです。 このことについて、カンデル神経科学 は次のように言っています。 

 

「無意識の精神機能に関する解明が進んだことにより、生物学的な謎の深淵、すなわち「意識」や「自由意志」の原理をのぞくのに必要なツールを神経科学者が手にする時は、もうすぐそこまできているのかもしれない」 

                 カンデル神経科学より

 

以上の神経生物学における新たな展開は、人間の意識や行動の変革に係わる私たちにも、これまでの考え方や理論を新しい目で見直すよう迫るものです。 つまり、私たちは新たな知見にもとづいて自身のアプローチ方法や理論を再構築しなければならない時期に来ているのです。 私たちはソマティック・アプローチ研究会の創設をこうした再構築の動きの一つと位置づけています。 観察可能な行動のみによって心を分析することの限界を打破する試みの一つとして、また、新たな生物学的な知見を現実社会に生きる人々の問題解決と今後の成長と発展に結びつけていく試みの一つとして意味のある貢献をしたいと思っています。

 

(2)注目を集めるエピジェネティクス 

1980年代後半に始まったヒトゲノム(人の遺伝子情報)の解読計画は2003年に完了し、ガンの遺伝子、肥満の遺伝子、記憶に関連する遺伝子など、たくさんの遺伝子が発見されました。 それとともに、両親から受け継いだ遺伝子は生涯において不変であり、後天的な試みによって変えるのは難しいという考えが一般に広がりました。

しかし、他方で、ヒトゲノムの解明が進むにつれて、生物には先天的に遺伝子で決まる部分と後天的に環境の影響を受けて決まる部分とがあり、この二つを分けて考える必要があることも明らかになってきました。 遺伝子情報と機能を扱うジェネティクス(遺伝子学)とともに、環境要因が遺伝子の発現(DNAの使われ方)にどう影響するかということを扱うエピジェネティクス(Epigenetics)が注目を集めることになったのです。

そしていまや、生物のさまざまな性質(表現型)は、DNAだけで決まるのではなく、環境と生物との相互作用の中で決定され、それが細胞分裂や世代を超えて維持されていくという考え方が生物学の主流になっています。  私たちは「遺伝だから」といって簡単にあきらめる必要はないのです。

 

(3)神経可塑性と神経新生の研究

神経可塑性(Neuroplasticity)とは、自己の身体の活動や心的体験に応じて脳が自らの構造や機能を変える性質のことです。 1949年にドナルド・ヘブによって提唱されたセル・アセンブリ(ニューロンのネットワーク)とシナプシス可塑性の構想は、1980年代頃から生物学における重要な研究テーマになりました。ノーマン・ドイジ が著した通り、神経可塑性に着目した療法は21世紀に入ってから広く臨床の場で実践され、多くの成果をあげるようになってきました。 私たちは、そうした神経可塑性療法家と呼ばれる医師たちが神経可塑性を高めるために身体と心を用いていることに注目します。 そして、私たちは神経可塑性療法家が用いる手法を広く社会に応用する道を模索したいと思っています。

 

「身体は心と同じく脳に至る道である」                         

           慢性疼痛専門医、神経可塑性療法家 マーラ・ゴールデン 

 

近年、画期的な発見がありました。 それは神経新生の発見です。 これまで神経細胞(ニューロン)は胎児期から幼年期において発達し、成人してからは新しく生まれないと考えられてきました。 ところが近年、成人になっても脳の海馬の歯状回部位において生涯を通じて新しいニューロンが生み出されて続けていることが明らかになったのです。 ニューロンは再生しないという定説は覆りました。 海馬は記憶や認知症と関係する脳の重要部位の一つです。 そして有酸素運動によって神経新生をより活発にできることがわかっています。

  

(4)運動するのは、脳を良い状態にたもつため

 

ジョン・J・レイティ は、運動をするのは、頭を育ててよい状態に保つためだといいます。確かに、 運動が脳にもたらす効果は、身体にもたらす効果よりもはるかに重要なのかもしれません。

 

「運動をしたいと心から思えるようになれば、そのとき、あなたは違う未来へ向かう道を歩み始めている。 それは生き残るための道ではなく、成長するための道なのだ」                 ジョン・J・レイティ

 

運動(動くこと)が身体に及ぼす影響については、すでに運動生理学として検証され体系化されています。  いま注目を集めているのは、運動が脳に及ぼす影響とその脳から身体へのフィードバックについてです。 

 

(5)健康に長生きするための10の脳ルール

 

レイティが言う通り運動は確かに大切です。しかし、運動以外にも脳の若返りを図り、健康に長生きする方法はいくつかあります。

分子発生生物学者のジョン・メディナは、そうした方法や考え方のなかから主なものを選んで、10のブレイン(脳)・ルールとしてまとめているのでご参考までにご紹介しましょう。

 

少なくとも、老骨に鞭打って相談室や対話の会をやっている私から見ると、どれも納得のできるものばかりです。特に、友だち、感謝、マインドフルネス、運動、そして最後の「引退は絶対にやめよう」は心に響きます。

 

  1. 友だちを作ろう。友達になってもらおう。
  2. 感謝する習慣を身につけよう。
  3. マインドフルネスは脳を静めるだけではなく改善する。
  4. 学ぶのに、あるいは教えるのに、遅すぎるということはない。
  5. 脳をテレビで鍛えよう。
  6. 「わたしはアルツハイマー病になったのか?」と疑う前に、探すべき10の兆候。
  7. 食事に気をつけて、運動しよう。
  8. 思考を明晰にするために、十分な(しかし、長すぎない)睡眠をとろう。
  9. 永遠に生きることはできない、少なくとも今のところは、。
  10. 引退は絶対にやめよう、そして、郷愁をたいせつにしよう。

 

(6)遺伝や環境のせいにするわけにはいかない

 

人の能力や性格を論じるときに、よく遺伝か育ちかという二者択一の議論がなされます。 しかし、私たちにとって重要なのは、幼少期の私たちはどちらも選んでいないということです。 遺伝や幼いころの育った環境で性格や能力がほぼ決まってしまうのだとすれば、私たちは何のために意識変革や能力開発に取り組んでいるのかと頭を抱えてしまうほかありません。

私たちは、遺伝や育った環境で性格や能力がほぼ決まってしまうという考え方には賛成しません。 この点について、プロセスワークのアーノルド・ミンデルはみごとに言い切っています。

 

「運命と戦いなさい! どんなことにも、気がすむまでしがみつきなさい! 少なくとも、運命が、もうたくさんだとあなたからにげていくまでは」              

                       アーノルド・ミンデル 

 

私たちはミンデルほど大胆にはなれません。 しかし、私たちも、遺伝や育った環境の影響が大きいことは認めつつも、かといってそれで性格や能力(脳の限界)がほぼ決まってしまうという「行きづまり思考 」については、これを受け入れるわけにはいきません。

おりしも、神経新生の発見と神経可塑性の広がりは、脳・神経科学やエピジェネティックスの研究の進展と相まって、脳の構造や機能は大人になっても、経験や学習や環境、特に運動の積み重ねによって機能的にも、また解剖学的にも修正されるという考え方に科学的な根拠を与えました。

 

意志を固めさえすれば、いつでも、どこでも、いくつになっても私たちは変わることがでます。 そして、行きづまり思考を打破し、運命に挑戦するために、私たちはもっと身体を活かさなければなりません。 

 

⊡ 難しい21世紀という時代をどう生きるか?

 

神経生物学における知見とは別に、私たちをいまソマティック・アプローチの研究へと動機づけるものとして今日の気がかりな社会状況があります。 

残念ながら、私たちが住む社会には個人が活力を失いつつあることを示すいくつかの兆候があります。 いうまでもなく、その筆頭は少子化です。 少子化は個人の活力の低下そのものと言っても過言ではないでしょう。 他にも気がかりな兆候はあります。 4百万人を超えてしまった精神障害者、百万人を越えたといわれる若年・中高年層の引きこもり、増え続ける学校でのいじめと不登校、人とのつながりや仕事のやりがいを喪失しつつある勤労者 などです。

 

私たちを不安にさせるのは、数字もさることながら、こうした不安な兆候があるにもかかわらず人々に、そして社会に変化と変革の動きが見られないことです。

 

社会の変化と変革について説いた米国の思想家ジョン・W・ガードナー は次のように書いています。 

 

「生命と世界は絶えず流れ続け、進化している。 いまや私たちはその真実をつかんだに違いない。 しかし、私たちがそれを好むかどうかについては迷いがある。 私たちのなかには、変化に対して激しく抵抗する自分がいる。 同時に、変化を歓迎し、それを爽快に感じ、求めようとする自分もいる。 後者の特質こそが、種を保存していくのだ」                      

                  ジョン・W・ガードナー

 

思うに、私たちはまだ、ガードナーが言う「生命と世界は絶えず流れ続け、進化している」という真実をまだつかんでいないのではないでしょうか。 直面している状況を、安全なところでじっと静かにしていればやがて過ぎ去っていく一時的な嵐のように思っているのではないでしょうか。 

私たちが真実をつかんでいないとしたら、それはなぜなのか?あるいは、もしつかんでいるとしたら、なぜ変化や変革の動きが起こらないのか?どちらにしてもとても不思議なことです。 

 

私たちは、人生でほんとうにたいせつなことは何か、生きることとはどういうことか、何のために働くのかといった本源的な質問を投げかけることから始めなければなりません。変化が速く難しい時代ですが、諦めるわけにはいきません。

まだまだやれることはたくさんあります。行く詰まり思考を打破し、前に進まなければなりません。そのために脳と心と身体を整えるソマティック・アプローチの視点が役立つにちがいないと私たちは思っています。