ダイアログ


「誰かと接するたびに、人生をよくするチャンスがある」

                アレックス・ロビラ「幸福の迷宮」より

 

 対話とは相手を説得するのではなく、共通の理解を探し出す行為である。

誰もが異なった意見を持っているかもしれないし、持っていないかもしれない。それはさほど重要ではない。 考え方を共有すること、良心を分かち合うという態度の方が、意見の内容よりはるかに重要である。

               デヴィット・ボーム「ダイアローグ」

 


□ 成長を促す2つの動機

 

 何が人の成長を促すのでしょうか?

人間には2つの動機があると言われています。

 

1. 関係性動機

 人との関係を安定させ、互いに助け合いながら生きていこうとする動機

2. 自己定義動機

 自分を一つの独立した存在として発達させ、統合させたいという動機

 

 まず、お母さんと赤ちゃんとのあいだには自然に「愛着」という感情が育ちます。でもしばらくすると赤ちゃんは、どうもこの世界にはいろいろな人がいることに気がつきます。そして自分という存在を意識しはじめます。

これが多くの心理学的理論を生み出した愛着(親密さ・関係性)と自律性(自己定義)という2つのテーマです。

 

 発達はだいたいこの2つのバランスで説明されます。人は一方で友達と遊んだり喧嘩したりしながら関係性づくりをしつつ、他方で自己という存在を確立させていきます。関係性と自律のアンバランスが生じたとしても、それを調整し、乗り越えながら成長します。そしてやがて社会人として自立し、また家庭を築いていきます。

 

 しかし、乳幼児期から青年期にかけて家庭や学校などで問題や不幸な事情があった場合には、愛着と自律性をバランスさせるのは容易なことではありません。どちらかに極端に偏ったり、一方を犠牲にしてまで他方に拘るなどのアンバランスが生じたりします。たいへん不幸なことですが、これが精神的障害の遠因になることがあります。

 

 

□  誰もが試行錯誤する

 

 人間関係の悩みは、あなただけのお悩みではありません。実際には、どんな人でも大なり小なり人間関係の悩みを抱えていて、どうしたらいいかを工夫しながら生きています。

そう思うと、気分が少し気が軽くなりませんか。

 

 いま貴方が悩みを抱えているとしたら、貴方は人生の課題のひとつを乗り越え、ひとまわり大きく、魅力的な人に成長するチャンスをもらっていると考えることもできます。そして悩みながらもそれを乗り越えることができたならば、その先に信頼関係や幸福感や安心感という大きなご褒美が待っています。

 

 私ごとで恐縮ですが、わたしは小さい頃から一人で遊ぶのが好きでした。野山で蝶を追いかけたりするのが趣味だったこともあり、人と話をするのはとても苦手でした。今でも決して上手とは言えませんが、それでもたくさんの失敗体験を積んで何とか格好はついてきました。離婚した当時は相当落ち込みましたが、災い転じて福となったのでしょうか、今は再婚して愛する妻と家族、友人達に囲まれて幸せに過ごしています。

 

 そんなわたしの経験からですが、愛と敬意をもって人と接すること、感謝の気持ちを忘れないことがたいせつではないかと思います。

 

 

□親密性とは

 

 なんでも親身になって考えてくれる家族や友人がいるといいですね。

親密な関係とは何でしょうか。

(1)お互いに自分を正直にさらけ出しながら(自己開示)、同時に

(2)お互いに一人の独立した人間として尊重し合っている(受容)、

という関係性のことをさします。 

親密性の形成プロセス
親密性の形成プロセス

 

 冒頭でふれた関係性動機と自己定義動機がうまく両立し調和している状態です。

 

 親密な関係では、ひとは「気持ちが通じ合い繋がっている、暖かく穏やかである、変に構える必要がなくありのままの自分でいられる」というゆったりした気持になれます。

心理的な距離感がない、あるいは情緒的にすごく近い(being emotionally close)、という感じです。

 

 右上の図のように親密性は「自己開示⇒パーソナリティーや価値観の交流⇒個別性の受容⇒更なる自己開示」というサイクルを経ながら徐々に築かれていくと考えられます。お互いが、勇気をもって少しづつオープンになっていくことが求められます。


 親しくなりたい相手に対して、仮面を脱ぎすてて本当の自分を見せたり、本音を正直にぶつけるのはたいへん勇気がいることです。自己開示を進めればお互いのパーソナリティーや価値観の違いが徐々に明確になり、衝突が起こったり破局が訪れたりするリスクがあるからです。

 

 でも、そのリスクを避けてばかりいると、お互いの人格を尊重し、受け入れるという「個別性の受容」がいつまでたっても生まれないことになり、本当の意味での親密性づくりはなかなかできないのではないかと思います。